富岡 豊・花村 いせじ
豊(右)・いせじ
人 物
富岡 豊
・本 名 富岡 豊
・生没年 1910年10月2日~1981年以前
・出身地 東京
花村 いせじ
・本 名 富岡 いね子
・生没年 1921年2月2日~1981年以降?
・出身地 東京
来 歴
二人とも歌い手の出身で、漫才師の転向は遅かったという。豊は楽士の出身でアコーディオンを得意としており、『芸能画報』(1959年2月号)に略歴が記されている。
民謡調のノドをタップリと聞かせるいせじ、コミカルな味を持つアコデオンの豊
豊 ①同名②明治43年10月2日③東京④歌謡曲歌手として出発したが漫才師に転向。現在のコンビを組む
相方のいせ路も大体同じような経歴で、
いせじ ①富岡いね子②大正10年2月2日③東京④歌謡曲歌手でスタートおしどりコンビで売り出す。
こちらは民謡などを得意としていたという。豊がアコーディオンを演奏し、いせ路が歌を歌う――オーソドックスな音曲漫才で人気を集めた。
コンビ的には、相原義雄・早川みち子と被る所が多い。
1955年に設立した漫才研究会では発足時より参加している様子が伺える。ただ、入会が決定したのは、2月24日の事であった。以下は、その時に加入した面々。
新規加入(追記分)
八木橋伸浩『南千住の風俗 文献資料編』より
森信子・秀子 轟ススム・旗上ヒロシ 白浜浩一・美島詩子 大津小万・小百合 高原妙子・松原桂右 富岡豊・花村いせ路 英主水・川端米子 マキノ洋一・初江 美奈登小雪・つや子 大和家八千代・酒井義二郎 玉松ワカミ・ミス幸枝 中山アラブ・内海サラブ 荒川芳勝・八千代 山みどり・川ちどり
その時の公演写真(『サン写真新聞』1955年3月8日号)に、芸風の事が記されていて、貴重。
花村いせ路・富岡豊 アコを抱えて黒田節時々トチらせて大笑い
なぜか1960年度の「重宝帳」にこのコンビの名前が出ているが、これきりであり、それ以降の消息は判らない。豊が早く死んだらしく波多野栄一の『寄席と色物』に、
元は楽士で花村が唄いよく売れたが豊が途中で没した
とある。1981年付の『芸能人物故者芳名簿』には、豊の名前が出ているので、それ以前に没した模様である。
コメント