初見兄司・弟司
初見兄司・弟司(右)
人 物
初見 兄司
・本 名 土田 三雄
・生没年 1932年9月27日~??
・出身地 長野県
初見 弟司
・本 名 館野 孝次
・生没年 1933年10月30日~??
・出身地 茨城県
来 歴
初見兄司・弟司は戦後活躍した漫才師。「兄司・弟司」と名乗ったが実の兄弟ではなく、「兄弟のようにむつまじくやりたいから」という理由で名乗ったというのだからややこしい。オーソドックスなしゃべくり漫才で注目を集めたが、早くに引退した。
経歴には謎が残るものの、二人とも高校を出た後に仕事や劇団員生活をして、そこから漫才師になった――という遅咲きのコンビであった。第10回NHK漫才コンクールのパンフレットに右のような事が記されている。
兄司君はもと銀座のパン屋につとめ、弟司君はケーキ屋の職人さんであったと言う。パンとケーキでは兄弟みたいなものだし、兄弟のように仲がいいので、いつそこれを芸名にと言うので出発し仲好しコンビスタートしたのが一年半ほど前だから釜出しのホヤホヤである。
コンビ結成は1958年頃か。うれし氏などは「俺より下」と言っていた。当時としては珍しく師匠を持たず、独学で漫才を勉強し、独立する形で入って来たのだという。
『芸能画報』(1959年2月号)に経歴が出ている。
兄司 ①土田三雄②昭和7年9月27日③長野④高校卒業後神田児島音楽学園に入り後劇団東芸をへて漫才師
弟司 ①館野孝次②昭和8年10月30日③茨城④高校卒後漫才界に入る。目下神田Y・M・C・A英語学校在学中。
この掲載と前後して漫才研究会に入会。漫才研究会系の興行に出演して腕を磨いたという。二人ともオーソドックスなしゃべくり漫才を得意としたと聞く。
1960年10月22日、第8回NHK漫才コンクールに出演。出演者は以下の通り。
①「エチケット」新山のるか・そるか
②「兄弟相信じ」初見兄司・弟司
③「ダッセン瞼の母」ベレーミヤオ・左キヨコ
④「デート」 新山トリロー・トリロー
⑤「盗作物語」春日淳子・照代
⑥「ロマンスの秋」美田朝かん・夕かん
⑦「町の名」春日章・ちえみ
⑧「女教師は語る」大和わかば・東まゆみ
⑨「僕はチャンピオン」クリトモ一休・三休
⑩「お笑い現代版」 光の家竜夫・竜子
休憩(審査会)
その間都上英二、東喜美江 大空ヒット、三空ますみ他のヴェテラン連中が御挨拶に出場する予定です。
優勝カップ贈呈式
優勝は美田朝かん・夕かん、準優勝は大和ワカバ・東まゆみ、三位はクリトモ一休・三休であった。
さらに、1962年3月10日、第10回NHK漫才コンクールに出場し、「今日はさよなら」を披露。
出場者は若葉茂・高山登、クリトモ三休・一休、マキノ洋一・初恵、京美智子・西美佐子、東けんじ・宮城けんじ、新山ノリロー・トリロー、晴乃チック・タック、光の家竜夫・竜子、青空星夫・月夫。
優勝はクリトモ一休・三休、準優勝は東けんじ・宮城けんじ、三位は新山ノリロー・トリローであった。
そこから数年ほど空いて、1965年3月13日の第13回NHK漫才コンクールに出場し、「期待される人間像」 なる演目を口演している。同回のパンフレットに――
三度目の出場。一度目二度目はコンビを組んで日が浅かったので、やたらに客席が大きくみえて何をおしゃべりしたかまったくわからなかったが、今年はゆとりも出来たので内心大いに……と張切っている。
「初見」という名の由来は、コンビ結成の時に兄司さんは、佃島に弟司さんは月島に住んでいたが、間借り生活の悲しさ、この間に掛っている初見橋を稽古場にして、人通りの絶えた夜中にネタ合せをしたところからとったそうだ。
と屋号の由来が綴られている。
出演者は大空みつる・大空ひろし、ベレーミヤオ・左キヨコ、新山ノリロー・新山トリロー、南順子・北ひろし、青空ハルオ・アキオ、南けんじ・條あきら、晴乃チック・タック、大平洋子・三升小粒、三田純三・八島光男。
優勝は新山ノリロー・トリロー、準優勝は晴乃チック・タック、三位は南けんじ・條あきら、四位は青空ハルオ・アキオ……と、ここでも賞を取り損ねている。
それからしばらくの間も漫才協団に所属していたものの、1968年の名簿からその名前が消えているため、引退した模様。
如何せん謎が多いコンビである。