東京漫才を彩った人々

東京漫才を彩った人々

お笑い新幹線(水原雪雄・みのべ実)

お笑い新幹線(水原雪雄・みのべ実)は昭和末~平成にかけて活躍した歌謡漫才。水原は「春日富士松・雪雄」以来の漫才師であり、みのべはアマチュア物真似芸人から、小島宏之とダイナブラザーズのメンバー、歌謡漫談「お笑い新幹線」を組んだという変わり種であった。
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大瀬しのぶ・こいじ

大瀬しのぶ・こいじは戦後~平成に活躍した漫才師。共に30代後半でコンビ結成するスロースターターであったが、方言漫才を確立し一時代を築いた。後年、東京から東北へと拠点を移し、元祖ローカルタレントとして活躍。しのぶは「青森が生んだ大スター」といわれるほどの人気を博した。
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高峰愛天・東天

高峰愛天・東天は戦後~平成に活躍した漫才師。リーガル天才門下の俊英で、一時期はホープとして目されていた事もある。東天は8代目三笑亭可楽の門下で落語家、小金井芦州の門下で講談師を経て漫才師になったという不思議な芸歴を持っていた。
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東京太・京二

東京太・京二は戦後~1980年代まで活躍した東京漫才師。松鶴家千代若に厳しく仕込まれた京太と俳優出身でWけんじ門下の京二の凸凹ぶりが売り物であった。ノリロー・トリロー、みつる・ひろしと並んで「東京漫才の御三家」として活躍。長らく東京漫才を牽制し続けてきた。
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大空みつる・ひろし

大空みつる・ひろしは戦後~平成初頭まで活躍した漫才師。大空ヒット門下の俊英として売り出し、新山ノリロー・トリロー、東京太・京二と共に「東京漫才の御三家」として名声をほしいままにしたが、自堕落な性格と病弱が原因で最終的にコンビを解散してしまった。
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大空せんり・まんり

大空せんり・まんりは戦後活躍した漫才師。エノケンの末弟子と大空ヒットの息子という毛並みの良さで売出したが、長続きはしなかった。せんりは後に兄弟弟子と「大空ネット・ワーク」を結成し、2000年代まで長い息を保つ事となる。
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てきさすコンビ(三田みつお・まさお)

てきさすコンビ(三田みつお・まさお)は戦後~漫才ブームに活躍した兄弟コンビ。元々は大阪の三田まさるの門下生であったが、上京して東京の漫才師としてデビュー。珍妙なコミックマジックや独特のコント仕立ての漫才を得意とし、『お笑いスター誕生』などで活躍した。みつおは心臓が悪く夭折を遂げた。
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青空ヒッチ・ハイク

青空ヒッチ・ハイクは戦後~漫才ブーム時代に活躍した漫才師。青空うれしの弟子筋に当たり、フレッシュな掛合と達者な司会漫才で注目を集め、後には漫才コンクールで優勝までもぎ取っているが、師匠よりも先に芸能界を引退してしまった。
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とんぼと三吉(東とんぼ・水野三吉)

とんぼと三吉(東とんぼ・水野三吉)は戦後活躍した漫才師・コント芸人。とんぼはWけんじの東けんじの弟子で、かつては田口れんじと「Wコミック」で売れた芸人。水野三吉は「ザ・ハプニング」「笑企業」などのコント集団を経て、漫才になったという変わり種。
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瀧川鯉かん(音曲・掛合噺)

「瀧川鯉かん(音曲・掛合噺)- 色物のすべて(仮)」瀧川鯉かんは戦前活躍した音曲師・掛合噺の名人。美声の音曲と入船米蔵との息の合った掛合噺が売り物で長らく柳派の看板として活躍。ラジオ黎明期のスターとしても活躍を続けた。
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青空ピン児・ポン児

青空ピン児・ポン児は戦後活躍した漫才師。ポン児は上方落語の「笑福亭小松」であったが、落語界を追放されて漫才界入り。コロムビアトップ門下でコンビを組んだ。一時は「突破・一路を超えるコンビになる」とまで言われたというが、長続きはしなかった。
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木戸啓二とザツオンぼういず(キッドけいじ)

 木戸啓二は戦後活躍した漫才師。高度経済成長期には「木戸啓二とザツオンボーイズ」を率い、高い人気を集めた。晩年は「キッドけいじ・ホセかなた」として復帰。さらにアサカもみじとコンビを組み直して、漫才協会に入会。80近くなってもカクシャクと舞台に上がり続けていた。
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音羽シャープ・フラット

音羽シャープ・フラットは戦後活躍した漫才師。シャープは漫才師廃業後、三遊亭円歌(三代目)の門下に入り、「三遊亭歌夫」と改名。易や風水を面白おかしく論じる占い漫談というジャンルをぶらさげて、平成初頭まで活躍した。
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武田三郎・吾妻美佐子

武田三郎・吾妻美佐子は、戦前戦後活躍した夫婦漫才。美佐子は元々姉と「吾妻家政之助・美佐尾」として鳴らした少女漫才の後年の姿。武田三郎は元々楽士の出身で、ラッパを中心にありとあらゆる楽器を奏でる合奏漫才で人気を集めた。「武田ラッパ」の愛称を持っていた。
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高井カクテル(カクテルショウ)

高井カクテルは戦前の籠寅演芸部を中心に活躍した漫才師。元々は剣劇役者であったが、剣劇の衰退に伴い漫才師に転向。「石井ジン・カクテル」のコンビになったが、ジンの出征に伴い、コンビを解消。妻や仲間たちを集って、「カクテルショー」を結成し、籠寅演芸部の舞台で活躍した。
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東若丸・君子

「東若丸・君子 – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections」東若丸・君子は戦前活躍した夫婦漫才師。人気漫才師、都上英二・東喜美江の東喜美江の両親として知られている。漫才師時代は剣舞を演じる漫才を得意としていたという。
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吾妻家美佐尾・政之助

吾妻家美佐尾・政之助は東京漫才黎明期に活躍した漫才師。男性のような名前であるがれっきとした女性である。元々は安来節をやっており、声よし顔よし度胸よしの三拍子そろった姉妹漫才で人気を博したという。美佐尾は後年武田三郎と結婚し、夫婦漫才に転身した。
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青空水星・木星

青空水星・木星は、戦後活躍した漫才師。青空一門の新鋭として目されたが、早く解散した。水星はコロムビアトップのマネージャーとなり、木星は友人とWエースを結成し、丘エースと改名。東京漫才の幹部として大活躍をした。木星は、ねづっちやニックスの師匠分である。
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桂光一・ひろみ

桂光一・ひろみは戦後活躍した漫才師。兄妹でコンビを組んでいたという。両親は東京漫才の幹部・桂竜夫・竜子。光一は若井はんじ・けんじの下で修業をし、少年漫才としてデビューした稀有な人物であった。コンビ解散後、光一は弟の光二とコンビを組み、東京漫才の新鋭として売り出す。
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晴乃ダイナ・ミック

晴乃ダイナ・ミックは戦後活躍した漫才師。元は晴乃ピーチクの門下で「晴乃ダイナ・ミック」というコンビで活躍をしていたが、数年でコンビを解消。ダイナは大阪へ上り、吉本に入社。紙切り漫談で舞台に立った。一方のミックは「大井海彦・山彦」として活躍した。
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さがみ三太・良太

「さがみ三太・良太」は、平成まで活躍した貴重な浪曲漫才を演じるコンビであった。両人共に滑稽浪曲の相模太郎門下で、三太が浪曲、良太が曲師であった。達者な三味線とキレのあるツッコミを武器に活躍、昭和の一時期、セントルイスやツービートの対抗馬と目された事もある。
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大原利博・小原小春

大原利博・小原小春は戦前活躍した漫才師。夫婦漫才であったという。利博が胡弓、小春が三味線を受け持ち、器用に合奏する音曲漫才を得意としたというが謎まみれである。小原小春という帝劇女優がいるが彼女とは一切関係ない。小春は小原節の歌い手から漫才師になったようである。
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木田Q太・P太

木田P太・Q太は戦後活躍した漫才師。木田鶴夫・亀夫門下のホープで、フレッシュな漫才を得意としたというが早く解散した。Q太は作詞や漫談方面で活躍し、今も健在。
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ベレーミヤオ・左キヨ子

ベレーミヤオ・左キヨ子は戦後活躍した漫才師。ベレーミヤオは芸名の通り、ベレー帽をかぶりそれをトレードマークとした。キヨ子は三味線を抱え、小唄端唄を聞かせたという。実力はあったが、中年から漫才師になったせいもあってか遂に売れなかった。
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宝大判・小判

宝大判・小判は戦後活躍した漫才師。戦後の高度経済成長の中で旧弊な兵隊漫才を得意とし、アナクロな人気を集めた。小判は四人存在する。初代は俳優、二代目は後の大瀬しのぶ、三代目は元少年漫才、四代目はのど自慢大会入賞者とそれぞれ異色の経歴を持っている。
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松鶴家千とせ・宮田羊かん

宮田羊かん・松鶴家千とせは戦後活躍した漫才師。なかなか達者なコンビであったが、割かし早く別れてしまった。千とせは後年漫談家となり、『わかるかなあ~』という独特の漫談で爆発的な人気を集め、宮田羊かんは鶯谷で店「よーかんちゃん」を開き成功を収めた。
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滝の家鯉香・お鯉

滝の家鯉香・お鯉は戦前戦後活躍した女流漫才。ただ、芸風や肩書は「女道楽」といった方がいいのかもしれない。それでも寄席色物の傑物であり、漫才師と交友深かったのでここに採録をした。鯉香は戦後ピン芸人となり、ノンキ節の名人として寄席の人気者となった。
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湊家小亀

湊家小亀は戦前活躍した芸人。本業は太神楽曲芸師で、港家の家元株であった。その立ち位置上、漫才師と換算していいのか判らないが、東京漫才の成立には大きな影響を及ぼした存在であり、「江戸っ子萬歳」などという名乗りもした事から漫才師として取り上げることにした。
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大空ヒット・東駒千代

大空ヒット・東駒千代は戦前活躍した漫才師。東喜代駒門下の俊英で、浅草の劇場と松竹芸能の劇場を中心に大活躍を遂げた。ハーモニカと三味線の合奏を得意とした。駒千代は喜代駒の元相方、大空ヒットは戦後も活躍し、「大空一門」の家元として君臨した人物である。
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オオタケタモツ

オオタケタモツは戦前戦後活躍したコメディアン。漫才師として数えるかどうか、となるとヒジョーにややこしい存在なのであるが、戦後コント漫才をやっていた事や、あきれたぼういず、小宮凡人・凡児の存在に関与する事、またリクエストがあったため、これを掲載することにした。

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