東京漫才を彩った人々 リーガル天才・秀才 リーガル天才・秀才とは戦後・平成にかけて活躍した東京漫才の人気者である。巧みなユーモアと、独特な視点から切り込んだ時事漫才を武器に幅広い活躍をつづけ、「天秀コンビ」で慕われた。面倒見の良い性格から、「高峰一門」を形成。多くの東京漫才師を育成した他、国立演芸場創設などに関与した。 2020.02.22 東京漫才を彩った人々漫才師 ラ行漫才師 リの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 酔月楼とり三・唄の家なり駒 酔月楼とり三・唄の家なり駒は戦前活躍した漫才師。関西弁と標準語のイントネーションの違いで漫才をやるという不思議な芸の持ち主であった。とり三の姪が春風亭枝雀の妻に当たる。 2020.02.20 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 ウの部漫才師 サ行漫才師 スの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 シャンバロー(柳四郎・岡三郎・邦一郎) シャンバロー(柳四郎・岡三郎・邦一郎)は戦後活躍した歌謡漫談の一組である。岡と柳は長唄出身という変わり種で、邦楽をベースにした独特の演奏技術やとぼけた味で売れに売れた。長らく落語芸術協会に所属し、寄席の看板としても活躍した。岡三郎の孫娘は、池田有希子である。 2020.02.14 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 オの部漫才師 カ行漫才師 クの部漫才師 ヤの部漫才師 ヤ行漫才師逆引き事典
東京漫才とは何か 立見二郎・とん子 立見二郎・とん子は戦前に活躍した夫婦漫才師。二郎は東京漫才の先駆けの一人として活躍した。升の上で踊る芸や三味線の曲弾きなど、古典漫才風のネタを得意にしていたと伝えられている。 2020.02.07 東京漫才とは何か東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
東京漫才を彩った人々 クリトモ一休・三休と第一球 クリトモ一休・三休と第一球は戦後活躍した漫才師。リーガル千太・万吉門下の俊英としてスタートしたが、一休は三河島事故で急死を遂げた。第一球はその後の相方で、今日のハウゼ畦元。三休は地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球である。 2020.02.01 東京漫才を彩った人々漫才師 カ行漫才師 クの部漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 春日淳子・照代 春日淳子・照代は戦後活躍した漫才師。実の姉妹でもある。淳子のアコーディオン、照代のギターという取り合わせで派手な漫才を得意とした。照代は後年結婚し、春日三球・照代を結成。地下鉄漫才や時事漫才で爆発的な人気を得た。 2020.01.28 東京漫才を彩った人々漫才師 カの部漫才師 カ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 Wけんじ(東けんじ・宮城けんじ) Wけんじ(東けんじ・宮城けんじ)は戦後活躍した漫才師。ロイド眼鏡をかけた東けんじとメリハリのある宮城けんじの対比、「やんなっ」「おー!」などのギャグで、東京漫才会を長らく牽制。爆笑王として迎え入れられたスター級の漫才師であった。 2020.01.21 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 マ行漫才師 ミの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 轟ススム 轟ススムは戦前戦後に活躍した漫才師。ハーモニカを得意とし、ハーモニカ漫才というジャンルを構築した功労者の一人である。戦後は、旗上ヒロシや丘コエルとコンビを組んで活動していたが、晩年は歌謡漫談やピン芸に移行した。娘は奇術師の轟夏美である。 2020.01.15 東京漫才を彩った人々波瀾(日中戦争前後~終戦)漫才師 タ行漫才師 トの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 萩笑三・奈良恵 萩笑三・奈良恵は戦後に活躍した夫婦漫才師。オーソドックスな音曲漫才を得意とし、地方巡業を中心にその生涯を送ったが、笑三は長命を保ち、晩年は中国の雑誌に取り上げられるほどであった。 2020.01.07 東京漫才を彩った人々漫才師 ハの部漫才師 ハ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 文の家都枝・七五三 文の家都枝・七五三は戦前戦後に活躍したコンビ。寸劇や獅子舞などを得意とし、自らの芸を「漫芸」と称した。戦後は吉本に入り、上方の漫才師として活躍した。都枝は奇人変人の一人として知られ、桂米朝や上岡龍太郎の本にも登場する。 2020.01.01 東京漫才を彩った人々漫才師 ハ行漫才師 フの部
東京漫才を彩った人々 獅子てんや・瀬戸わんや 獅子てんや・瀬戸わんやは、戦後に活躍した東京の漫才師。整然として品のいい漫才と凸凹コンビの取り合わせ、『なんでいったの』『ぴよこちゃん』などの当たりネタで、多くの漫才師や後進に影響を与えた。 2019.12.31 東京漫才を彩った人々漫才師 サ行漫才師 シの部
東京漫才を彩った人々 南道郎・国友昭二 南道郎・国友昭二は戦後に一世を風靡した漫才師。「学生漫才」「ステッキなコンビ」と銘打ち、にぎやかで達者な話芸でコロムビアトップ・ライトと共に一時代を築いた。南道郎は、俳優としても活躍し、多くの喜劇映画、戦争映画に出演。小心者で厭味ったらしい上官役や軍曹役などで大当たりをとった。 2019.12.24 東京漫才を彩った人々漫才師 カ行漫才師 クの部漫才師 マ行漫才師 ミの部
東京漫才を彩った人々 曾我廼家祐十郎 曾我廼家祐十郎は戦前を代表する兵隊万才の大御所。兵隊コントの先駆けのような舞台を展開。少人数で、兵隊生活の悲喜劇をつづった作品で、浅草を中心に広い人気を集めた。 2019.12.19 東京漫才を彩った人々漫才師 サ行漫才師 ソの部
東京漫才を彩った人々 都上英二・東喜美江 都上英二・東喜美江は戦前・戦後に活躍した夫婦漫才。東喜代駒の一門として長らく東京漫才をリード。英二のギターとハーモニカの曲弾、喜美江の天才的な芸で一世を風靡した。英二は、漫才研究会二代目会長としても活躍、芸術祭参加、漫才大会の開催など多くの功績を残した。 2019.12.06 東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師 タ行漫才師 トの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 曾我廼家童三 曾我廼家童三は東京漫才の初期に活躍した漫才師。戦前人気を博した兵隊漫才の先駆けの一組でもある。元々は曾我廼家喜劇の座員のひとりで、喜劇役者として活動をしていたが、肺病のために夭折した。 2019.11.29 東京漫才を彩った人々漫才師 サ行漫才師 ソの部
東京漫才を彩った人々 美田朝刊・夕刊 美田朝刊・夕刊は戦後活躍した漫才師。三国道雄・宮島一歩の弟子にあたるという。コンビ名の由来は「見た朝刊・夕刊」というしゃれである。時事漫才と物まねを得意とし、漫才コンクールでも優勝を獲得したが、早くに解散した。朝刊は芸能会社の社員となり、夕刊は後年独立し、拝啓介の名前で声帯模写や司会者としても活躍した。 2019.11.21 東京漫才を彩った人々漫才師 マ行漫才師 ミの部
東京漫才を彩った人々 大空マナブ・中村ハマ子 大空マナブ・中村ハマ子は戦前戦後に活躍した夫婦漫才である。ハーモニカの曲弾きを得意とし、大分のラクテンチを拠点にしていた。マナブの息子は、浪曲漫才の大空かんだである。 2019.11.10 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 梅の家一徳・おかめ(春日井おかめ) 梅の家一徳・おかめは戦前活躍した親子漫才師。一徳が父親。三味線と浪曲を主体の漫才とした。娘のおかめは、後年、浪曲の春日井梅鶯門下に入り、春日井おかめと改名。天才少女浪曲師として地位と名声をほしいままにした。 2019.10.30 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 ウの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 大和家貞夫・かほる 大和家貞夫・かほるは戦前活躍した夫婦漫才師。かほるは安来節の歌い手としても有名で、震災前後の浅草で爆発的な人気を集めた。大和家貞夫は元々活動弁士であったが漫才に転向。三人の子供に恵まれ、三人ともに芸人になった。 2019.10.16 東京漫才を彩った人々
東京漫才を彩った人々 高波志光児・光菊 高波志光児・光菊とは戦前戦後に活躍した漫才師。光児の実父は、朝寝坊むらくだという。マジックやラッパの曲弾など、アクロバット要素の多い漫才を得意とし、浅草中心に大きな人気を誇った。立川談志の熱烈な贔屓で知られる。 2019.10.06 東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 桂竜夫・東竜子 桂竜夫・東竜子とは戦後活躍した夫婦漫才。落語芸術協会に所属し、寄席を中心に活躍した。竜子が、竜夫を散々にやっつける女性優位漫才を展開。リュウタツさんの綽名で慕われた。桂光一・光二は息子たちである。 2019.09.25 東京漫才を彩った人々漫才師 カの部漫才師 カ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 出雲友衛・北條恵美子 出雲友衛・北條恵美子は戦前・戦後に活躍した夫婦漫才である。友衛は、名人と謳われた吉田奈良丸の弟子だけあって、声が自慢で、昔仕込んだ浪曲漫才を得意とした。戦後も浪曲節真似で活躍をつづけた。 2019.09.22 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 イの部漫才師 ハ行漫才師 ホの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 コロムビアトップ・ライト コロムビアトップ・ライトは戦後活躍した漫才師。司会漫才という新しいジャンルを創設し、青空一門の総帥として長らく活躍を続けた。トップは参議院議員としても有名。両人共に司会者としても売れた。 2019.09.18 東京漫才を彩った人々漫才師 カ行漫才師 コの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 内海桂子・好江 内海桂子・好江は戦後活躍した女流漫才である。桂子と好江は師弟関係ではない、純然たる他人コンビであった。派手で達者な三味線漫才と個性的なキャラクターで一世を風靡したほか、歯切れのいい男勝りの江戸っ子キャラとして、俳優やコメンテーターとしても活躍した。 2019.09.12 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 ウの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 東家市丸・砂川捨奴 東家市丸・砂川捨奴は戦前活躍した漫才師。浪曲漫才を得意とし、市丸の浪曲節真似が当たり芸であったという。夫婦のようであるが、夫婦ではない。両人ともに元々は関西系の漫才師だったという。砂川捨奴は、上方漫才の大御所、砂川捨丸の弟子であった。戦前の吉本の看板でもあった。 2019.09.09 東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師 サ行漫才師 スの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 玉松ジロー・大国三歩 玉松ジロー・大国三歩は戦後活躍した漫才師。玉松ジローは、「玉松」の屋号の通り、伝説の夫婦漫才「玉松一郎・ミスワカナ」の弟子である。大空ヒットとコンビを組んでやっていたことがある。 2019.09.03 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 オの部漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 東イチロー・ハチロー 「東イチロー・ハチロー 」は戦後活躍した漫才師。東ヤジロー・キタハチの弟子だという。戦後活躍した。なお、「東ハチロー」は、東貴博の父親で、一世を風靡したコメディアン「東八郎」と同姓同名であるが、特に関係はない。 2019.08.28 東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行
東京漫才を彩った人々 新山えつや・ひでや 新山えつや・ひでやは高度経済成長期から平成にかけて活躍した漫才師。民謡漫才で鳴らしたが、えつやの病気でコンビ解消。ひでやは妻のやす子とコンビを組んで、夫婦漫才として人気を取り戻した。 2019.08.26 東京漫才を彩った人々漫才師 ナ行漫才師 ニの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 新山悦朗・春木艶子 新山悦朗・春木艶子は戦後活躍した夫婦漫才。落語協会に所属し、ギターと三味線を持った音曲漫才を展開。艶子が早口で悦郎を圧倒するネタが売りであり、長年寄席の漫才として活動を続けた。弟子に新山ノリロー・トリロー、新山えつや、ローカル岡などがいる。 2019.08.22 東京漫才を彩った人々漫才師 ナ行漫才師 ニの部漫才師 ハの部漫才師 ハ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 笑福亭茶福呂・秋野華枝 笑福亭茶福呂・秋野華枝は東京漫才の創成期に活躍した一組。夫婦漫才であったという。茶福呂の前歴は殆ど謎に包まれている。が、笑福亭と名乗っている所から上方落語の出身だった模様。兎に角息の長い漫才師で、当時としては驚異の昭和初期から戦後まで30年近くにわたって活動を続けた。 2019.08.17 東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師 サ行漫才師 シの部漫才師逆引き事典