息吹 ~大正から昭和ひと桁~吉原家〆坊・〆吉 吉原家〆坊・〆吉は戦前戦後に活躍した漫才師。元は新内流しだったそうであるが、詳細に謎が多い。漫才師としては古く、昭和一桁台から東京の舞台に出るようになる。戦後まで健在だったというが――2017.03.07息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 ヤ行漫才師 ヨの部漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~松尾六郎・敷島和歌子 松尾六郎・敷島和歌子とは東京漫才創成期から戦後にかけて長く活躍した夫婦漫才である。六郎は剣舞を得意とし、剣舞師としても著名な存在だったという。元々は剣舞師として浅草の舞台に立っていたが、後に妻の和歌子とコンビを組んで夫婦漫才に転向をした。老いてもなお活躍をしたという。2017.03.06息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々
息吹 ~大正から昭和ひと桁~小桜金之助・桃の家セメンダル 小桜金之助・桃の家セメンダルは東京漫才創成期に活躍した漫才師。夫婦であった。セメンダルはセメント樽の略称。凸凹コンビで人気があったという。金之助が独特の所作で雪駄や畳直しの職人の真似をする不思議な物真似芸がトリネタであったと聞く。2017.03.05息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 カ行漫才師 コの部
息吹 ~大正から昭和ひと桁~太刀村一雄・筆勇 太刀村一雄・筆勇は戦前戦後に活躍した漫才師のひとり。一雄は玉子家円辰とコンビを組んでいた事もある。大柄の筆勇が土俵入りの真似事や一雄に相撲四十八手の型をかけてみせる相撲漫才という独特の芸を得意とした。地下鉄漫才で一世を風靡した春日照代の両親としても有名である。2017.03.05息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行
息吹 ~大正から昭和ひと桁~日本チャップリン・梅廼家ウグイス 日本チャップリン・梅廼家ウグイスは関東大震災以前~戦前の東京漫才創成期に活躍した夫婦漫才。早くから寄席へ進出し、東京漫才の啓蒙に一役を買った。ウグイスの美声とチャップリンのサルの物まねが売り物であったという。2017.03.05息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 ナ行漫才師 ニの部漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~宝家大坊・小坊 宝家大坊・小坊は戦前活躍した漫才師。中国系の人だったという。戦前、少年漫才として売り出し、浅草を中心に活躍したが、戦後になると消息が途絶える。六尺棒を使いこなす漫才だったというが――真木淳・斎藤れをの「ダイナマイトコンビ」が東京大坊・小坊を組んだ際は、三代目だったという。2017.03.04息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部
息吹 ~大正から昭和ひと桁~荒川末丸・玉子家艶子 荒川末丸・玉子家艶子は、東京漫才の創成期に活躍した漫才師。末丸は玉子家圓辰の直弟子だというが謎が多い。ただし、演芸としての「東京萬歳」の名称を使った最初の芸人と目されている。震災前後は大和家八千代一座で活躍したというが、末丸は夭折した。艶子は一時期大和家かほると組んでいた。2017.02.28息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行
息吹 ~大正から昭和ひと桁~橘家デブ子・花輔 橘家デブ子・花輔は戦前に活躍した漫才師。夫婦だったそうで、浅草を中心に活躍した。花輔は、噺家の出身。デブ子は太った見た目を芸名にしたというが謎が多く残る。2017.02.27息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~東亭花橘・玉子家光子 東亭花橘・玉子家光子は大正から戦後まで活躍した漫才師。夫婦漫才であったという。漫才というよりも、高座の上で餅を搗き、曲芸や餅のこねる様を見せる珍芸を売り物にした異色のコンビであったという。芸歴も長く大正時代から戦後にかけて、40年近く活動した。2017.02.26息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~東喜代駒 東喜代駒とは、東京漫才の元祖と言っても過言ではない漫才師である。上方漫才の影響を受けながらも、その流れに従う事なく、独学で奮闘し、はじめて東京人による東京漫才を完成させた功労者というべき存在であろう。2017.02.25息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師逆引き事典