東京漫才を彩った人々 浪速マンマル・シカク 浪速マンマル・シカクは戦前に活躍した漫才師。共に大阪喜劇の出身で、インテリ然としたネタと品格のあるしゃべくり漫才で人気を集めた。戦後、マンマルは若手漫才師の国友昭二とコンビを結成した。 2017.06.08 東京漫才を彩った人々漫才師 ナの部漫才師 ナ行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 朝日日出丸・日出夫 朝日日出丸・日出夫は戦前から戦後に活躍した漫才師。朝日家日出丸・日出夫ともいう。東京漫才の創成期から寄席や劇場で活躍。先見の明があり、洋楽やジャズを入れた音曲漫才を展開した他、レビューを元にした漫才ショーを開拓し、爆発的な人気を集めた。漫才でも最初期に車を所有した人物でもある。 2017.06.02 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 中村目玉・玉千代 中村目玉・玉千代は戦前に活躍した夫婦漫才師。目玉は浪曲漫才を得意とし、浅草の劇場を中心に活躍。戦後も焼野原の東京で立ち上がったものの、終戦後間もなく急逝。玉千代は木馬館の下座になった。 2017.05.27 東京漫才を彩った人々漫才師 ナの部漫才師 ナ行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
東京漫才を彩った人々 荒川芳勝・八千代 荒川芳勝・八千代は戦前戦後に活躍した漫才師。芳勝は大阪系の漫才師で、名門荒川一門の出身。四つ竹を打ち鳴らし、珍舞踊を踊る珍芸風の漫才で人気を博した。 2017.05.21 東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
東京漫才を彩った人々 冨士蓉子 冨士蓉子は戦前戦後に活躍した漫才師。少女漫才からスタートをし、多くの相方とコンビを結成。その達者な芸と美貌から、「東京のミスワカナ」と称されるほど、人気を博した。 2017.05.18 東京漫才を彩った人々漫才師 ハ行漫才師 フの部漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
東京漫才を彩った人々 竹の家雀右衛門・小糸 竹の家雀右衛門・小糸とは戦前から戦後にかけて活躍した東京漫才の一組である。雀右衛門の煙管の珍芸や中国手品など諸芸全般を十八番にした珍芸漫才であったという。 2017.05.14 東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 荒川清丸・玉奴 荒川清丸・玉奴は戦前に活躍した夫婦漫才師。清丸は玉子家圓辰の門下で、長らく上方にいた。晩年小沢昭一たちに注目され、聞き書きがとられたが、事実誤認や誇大発言なども多く、どこまで本当なのかいまいち信じられない漫才師である。 2017.05.08 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 都家福丸・香津代 都家福丸・香津代は戦前に活躍した夫婦漫才師。役者上がりの福丸と芸人を親に持つかつ江の芸達者同士のコンビで、かつ江が福丸をコテンパンにやっつける女性優位の漫才で人気を博した。福丸没後、香津代は都家かつ江と改名し、毒舌と愛嬌を振りまく三味線漫談と、独特の味を見せる女優として八面六臂の大活躍を遂げた。 2017.05.06 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 マ行漫才師 ミの部漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 大津検花奴・菊川時之助 大津検花奴・菊川時之助は戦前戦後に活躍した漫才師。花奴は、震災前後の安来節ブームの担い手として君臨し、人気歌手としても活躍をつづけた。美男美女の誉れ高く、曲芸や安来節を取り入れた芸尽くしの漫才で、戦前戦後の東京漫才の人気者の一組として大活躍を続けた。 2017.05.05 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 オの部漫才師 カ行漫才師 キの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 宮島一歩・三国道雄 宮島一歩・三国道雄は戦前戦後に活躍した漫才師。「道を一歩ずつ行こう」という言葉を分割して「一歩・道雄」という芸名となった。大柄の道雄と二枚目の一歩の取り合わせ、喜劇役者ならではの独特の間と話術、演技力を武器にしたしゃべくり漫才で人気があった。 2017.05.03 東京漫才を彩った人々漫才師 マ行漫才師 ミの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 浮世亭出羽三・銀猫 浮世亭出羽三・銀猫は戦前活躍した漫才師。バイオリンを弾く漫才で人気があったという。銀猫は噺家、出羽三は上方漫才の浮世亭出羽助の門下の人物であったようである。銀猫は敗戦後の動乱期に偽医者をやり逮捕された。 2017.04.22 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 ウの部漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
東京漫才を彩った人々 千代田松緑・都路繁子 千代田松緑・都路繁子は戦前活躍した漫才師。夫婦漫才ではない。松緑は、顔の半分近くある大きなトンボ眼鏡をかけ、曾我廼家五九郎や人気俳優の真似をする声色の特技を持っていて、それを漫才のネタにしていた。都路繁子は女優の出身で、大口から「バスケット」という綽名があった。 2017.04.21 東京漫才を彩った人々飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 桂金吾・花園愛子 桂金吾・花園愛子は戦前に活躍した夫婦漫才師。花園愛子は、慰問先の中国で戦死し、靖国神社に祀られることとなった悲運の漫才師として著名である。 2017.04.20 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 カの部漫才師 カ行漫才師 ハの部漫才師 ハ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 青柳ミチロー・柳ナナ 青柳ミチロー・柳ナナは戦前戦後に活躍した夫婦漫才師。戦前はセーラー漫才なる水兵漫才を、戦後はしゃべくり漫才を展開して人気を集めたが、その活躍の割には謎が多く残る不思議なコンビである。 2017.04.12 東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 林家染団治 林家染團治は東京漫才創成期から戦後まで40年近くにわたって活躍を続けた。東喜代駒や朝日日出丸・日出夫らと鎬を削った。多くの門弟を育成し、帝都漫才組合の会長や漫才研究会の副会長を歴任した漫才界の功労者であった。ゴリラの真似の名人と言えばこの人の事、ゴリラの染團治と謳われた程。 2017.04.09 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 ハの部漫才師 ハ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 十返舎亀造・菊次 十返舎亀造・菊次は戦後活躍した漫才師。男女コンビであるが夫婦ではない。亀造は鏡味小仙の門下の曲芸師、菊次は牧タンゴという人とコンビを組んでいた古い漫才師。戦後コンビを結成し、ラジオの人気者として君臨。その粋でさっぱりとした話術は立川談志や色川武大の熱烈な支持を受けた。今日も彼らの文献でその姿や芸を偲ぶことができる。 2017.04.03 東京漫才を彩った人々漫才師 サ行漫才師 シの部漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 リーガル千太・万吉 リーガル千太・万吉は戦前戦後活躍した漫才師。しゃべくり漫才の頂点を極め、東京漫才におけるしゃべくり漫才の基礎を作った。万吉は漫才研究会初代会長としても活躍した。 2017.03.31 東京漫才を彩った人々漫才師 ラ行漫才師 リの部飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 桂喜代楽・愛子 桂喜代楽・愛子は戦前戦後に活躍した夫婦漫才師。戦前は東京、戦後は名古屋を中心に精力的な活躍をつづけた。喜代楽は古い漫才や芸をよく知っており、晩年はその貴重な証言者、演者として研究者や芸人たちから慕われることとなった。 2017.03.29 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 カの部漫才師 カ行漫才師逆引き事典
東京漫才とは何か 大朝家五二郎・〆駒 大朝家五二郎・〆駒は、時事漫才を看板に掲げて活躍した漫才師であり、戦前の東京漫才における顔役の一人。元々は曾我廼家喜劇系の人物で台本作家をやっていたが、後年漫才に転向。創作の才を生かして時事漫才を完成させた。東京漫才における時事漫才の先駆けといってもいいだろう。戦後は芸能社の社長としても活躍した。 2017.03.28 東京漫才とは何か東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 玉子家利丸・松鶴家日の一 玉子家利丸・松鶴家日の一は、東京漫才創成期に活躍した漫才師。利丸は玉子家円辰の末弟子、松鶴家日の一は日の丸の弟子。コンビとしての上手さや漫才師の活動というよりも、多くの談話と芸を残したということから、その名を歴史に刻む事となったという異色のコンビである。 2017.03.26 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 サ行漫才師 シの部漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 桂木東声・春風小柳 桂木東声・春風小柳 戦前戦後に活躍した漫才師。東声は弁士・噺家、講釈師を経て漫才師になり、小柳は東京日本橋の芸者出身。達者な芸と話術で、様々な漫才師に大きな影響を与え、吉本と新興演芸部の対立の火種ともなった人気者であった。 2017.03.21 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 カの部漫才師 カ行漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 玉子家源一 玉子家源一は東京漫才創成期に活躍した漫才師。ドンドン節を十八番にし、ドンドン節の源一で売れに売れた。戦後は、漫才師を引退し、興行師に転向。90歳の天寿を保った。 2017.03.15 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 砂川捨勝・祇園千代子 砂川捨勝・祇園千代子は戦前戦後に活躍した漫才師。捨勝は名前の通り砂川捨丸の弟子。祗園千代子は名前の通り、京都の出身。砂川捨丸譲りの音曲主体の芸尽くし萬歳を得意としたそうで、「関東砂川会」の支部長でもあった。戦後一時期歌姫として活躍した西村つた江は二人の娘である。 2017.03.08 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 サ行漫才師 スの部漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 吉原家〆坊・〆吉 吉原家〆坊・〆吉は戦前戦後に活躍した漫才師。元は新内流しだったそうであるが、詳細に謎が多い。漫才師としては古く、昭和一桁台から東京の舞台に出るようになる。戦後まで健在だったというが―― 2017.03.07 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 ヤ行漫才師 ヨの部漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 松尾六郎・敷島和歌子 松尾六郎・敷島和歌子とは東京漫才創成期から戦後にかけて長く活躍した夫婦漫才である。六郎は剣舞を得意とし、剣舞師としても著名な存在だったという。元々は剣舞師として浅草の舞台に立っていたが、後に妻の和歌子とコンビを組んで夫婦漫才に転向をした。老いてもなお活躍をしたという。 2017.03.06 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 小桜金之助・桃の家セメンダル 小桜金之助・桃の家セメンダルは東京漫才創成期に活躍した漫才師。夫婦であった。セメンダルはセメント樽の略称。凸凹コンビで人気があったという。金之助が独特の所作で雪駄や畳直しの職人の真似をする不思議な物真似芸がトリネタであったと聞く。 2017.03.05 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 カ行漫才師 コの部
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 太刀村一雄・筆勇 太刀村一雄・筆勇は戦前戦後に活躍した漫才師のひとり。一雄は玉子家円辰とコンビを組んでいた事もある。大柄の筆勇が土俵入りの真似事や一雄に相撲四十八手の型をかけてみせる相撲漫才という独特の芸を得意とした。地下鉄漫才で一世を風靡した春日照代の両親としても有名である。 2017.03.05 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 日本チャップリン・梅廼家ウグイス 日本チャップリン・梅廼家ウグイスは関東大震災以前~戦前の東京漫才創成期に活躍した夫婦漫才。早くから寄席へ進出し、東京漫才の啓蒙に一役を買った。ウグイスの美声とチャップリンのサルの物まねが売り物であったという。 2017.03.05 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 ナ行漫才師 ニの部漫才師逆引き事典
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 宝家大坊・小坊 宝家大坊・小坊は戦前活躍した漫才師。中国系の人だったという。戦前、少年漫才として売り出し、浅草を中心に活躍したが、戦後になると消息が途絶える。六尺棒を使いこなす漫才だったというが――真木淳・斎藤れをの「ダイナマイトコンビ」が東京大坊・小坊を組んだ際は、三代目だったという。 2017.03.04 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 荒川末丸・玉子家艶子 荒川末丸・玉子家艶子は、東京漫才の創成期に活躍した漫才師。末丸は玉子家圓辰の直弟子だというが謎が多い。ただし、演芸としての「東京萬歳」の名称を使った最初の芸人と目されている。震災前後は大和家八千代一座で活躍したというが、末丸は夭折した。艶子は一時期大和家かほると組んでいた。 2017.02.28 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 アの部漫才師 ア行